2023年3月20日月曜日

 日本人は魂をどう捉えていたか

     -他界観と葬送から-

 

 

【日時】2023318日(土)1000分~1200
【場所】池ビズ4階・ 地域活動交流センター会議室
【講師紹介】   放送大学学生  市川 良介

 

 

 


【受講者の感想】
女性Aさん
   今日は市川さんの卒業論文の発表でしたので、とても楽しみにしていました。
   まず日本政府が調査した国民性の研究アンケートから、各国の宗教観などをグラフで紹介していただきました。私自身の宗教観は、八百万の神を信じるというのが一番近く、これは初詣には神社に行きお墓参りはお寺に行くという感じです。世界共通アンケートだとこのようなふわりとした回答の真意はうまく伝わらないかもしれません。
   以前一年経った熊手を神社でお祓いしてからお焚き上げするのを見た外国人の友人はとても日本らしい光景と言っていました。針供養など物を供養するところも。物にも心があると考えるとすれば、お骨に魂があると考えるのはとても自然な感じがします。お骨収集をしているのは日本だけだそうです。
   あの世があるかと言われると、どうでしょうか、、 あるような、無いような、、?

山折先生の本を読んでみたいと思いました。
   まだまだ色々お話を伺いたいところでしたが、気づいたら1時間半経ってしまっていました。
   今回は外部からの講師の先生をおよびした時とはまた違い随時質問も受け付けていただき、和やかでリラックスした講義の時間となりました。
   市川さん、貴重な発表をしていただきどうもありがとうございました。

女性
B
さん
   市川さんの講義は、とても興味深いものでした。
「死」というものが、そろそろ身近になって来たので、尚更関心が深まりました。
  歴史、時代背景で宗教、お墓の概念が変化して来たのですね。世の中が平穏でなければ、取りすがるものとして宗教に助けを求めるのかもしれません。
  死後の世界があるのか、全くわかりません。死ぬ前に後悔しない為に、生きている今を充実させたいと思います。

 女性Cさん
   今日の講師は、ああそうなんだ楽部の市川良介氏。
   放送大学の卒論の「日本人は魂をどう捉えていたか」の説明でした。市川さんのイメージから少し意外なテーマで、とても楽しみにしていました。
   いつでも質問していいとのことでしたので、質問の飛び交う楽しい時間でした。資料は信頼のおける出典で、興味深くあとからじっくり読ませていただきました。知らない言葉や組織等、勉強になりました。
   講座では日本人の魂感を、歴史を追って説明していただき、まさに、ああそうなんだと思いました。
   できれば市川さん自身は、魂をどう捉えているのか教えていただければ・・
   続きは次回、お花見のときに!

 女性Dさん
   ああそうなんだ倶楽部のメンバーの市川さんにご自分の研究の「日本人は魂をどう捉えていたか」の講義を受けました。
   面白かったのは、古代日本の埋葬の仕方と現代との違い、肉体と魂の考え方が古代と現代では変わっていたり、宗派によっても違いがある事など。
   平安時代になり遺体が汚れているという概念から土葬から火葬になり、集落のそばにあったお墓が隔離されたとか、明治になり埋葬範囲が霊園に限定され近代の葬儀が確立したとか知らない事ばかりでした。
   また日本と世界の人々との「あの世」の認識の違いや魂の有無のアンケートをグラフ化してもらい、日本人との感覚の違いを改めて知らされました。
   とても興味深く聞かせてもらえて良かったです。
   ありがとうございました。

 男性Eさん
    令和4年度最後のセミナーは、当倶楽部メンバー市川氏の放送大学の卒論発表会としてセミナーが開催されました。
   「日本人は魂をどう捉えていたか(他界観と葬送から)」というテーマで古代から近代に至る各時代毎に考察をしている。
    はじめに、現在は葬儀が簡略化されてきており、納骨もマンション形式が多く、納骨しないや宇宙葬等も出てきており、多様化されている。近代は人間関係が希薄化、すなわち、人間関係の喪失ーたましいの喪失と(河合隼雄著「物語と現実」から引用)言っている。確かに著名人でも家族葬(密葬)で済ませて、一定期間を経て公表し、お別れ会を後日実施するという形が最近多いと思う。これは生前の故人の意志又は喪主、施主の意志であると思えるが、これが魂の捉え方と関係しているのかは、私にはよく分からない。形式の変化は環境変化や家族構成の変化等、何か違う要因による影響ではないかとも思える。
   論文は、古代に中国の文化や制度を学びそれを受け入れてきたが、中世から日本流への埋葬や他界観の変化の変遷を辿ってきた。特に近世(江戸時代)に寺檀制度や戸籍管理ができ、先祖を認識し、明治以降の近代に家督相続の特権により、先祖代々の墓と個人から家へと変化したと論じている。
   魂やあの世の存在等、どう捉え、どのように思うかは、個人の生い立ちや環境等で違うのではないかと思う。
   時代変遷とともに葬儀や納骨の仕方、墓地の選択等、選択肢は多様化しており、魂や死後の世界の存在等、科学的に証明できない現在、信じるも信じないもいずれも真だと思う。中々難しいテーマに取り組んだ好奇心とチャレンジ精神に敬意を表します。