2019年5月28日火曜日

雑司ヶ谷 昔と今の移り変わり


雑司ヶ谷 昔と今の移り変わり

雑司ヶ谷 昔と今の移り変わり

【日時】2019525日(金)1030分~12
【場所】豊島区地域活動交流センター(としま産業振興センターIKEBiz4F)会議室
【講師紹介】渡邉 隆男さん
南池袋一丁目町会町会長や、雑司が谷七福神の会会長、雑司ヶ谷未来遺産推進協議会会長など地元活動を精力的に取り組まれておられます。

【講演の骨子】
東京城北部の無残な敗戦の傷跡や南池袋一丁目内の変貌、雑司ヶ谷七福神が創設された背景や雑司が谷未来遺産推進協議会の経緯についてお話頂きました。

【受講者感想】
男性Aさん
今までのゼミナールと一味違い雑司ヶ谷地域の歴史と変遷の具体的な証言とも言える内容は興味深かった。また長い間町会を引っ張ってこられた故に次世代に引き継がせることも無いとの言葉はかえって今までの苦闘をうかがわせる印象を持ちました。一言でいえば色々あるのだろうが大変な町会長さんだと思いました。

女性Bさん
南池袋一丁目町会長の渡邉さんに雑司が谷の今昔のお話を伺いました。町会創立50周年の立派な冊子と見た事もない終戦の詔書という昭和天皇の直筆とラジオ放送の全文を読ませていただき感銘を受けました。そこに押されていた御璽と国璽の差が初めてわかり、天皇即位の時話題になった印章だと知りました。
ビックリガードの落書きを消すため鉄道会社や国に働きかけたり、街おこしのため雑司ヶ谷の七副神を制作されたり、先住民とマンションの住人の垣根をとりはずすためアジサイロードをつくられたり、地域のために奔走されたお話がとても興味深かったです。
まだまだお話足りないようでしたので、第2弾も期待しています。

女性Cさん
巨大ターミナル駅池袋を町内に有する町会、その運営は想像を絶しました。住民を把握する事も大変なのに、ビックリガードの美化や雑司が谷七福神の創設など、渡邉町会長のあきらめない姿勢が素晴らしいと思いました。

男性Dさん
南池袋一丁目町会の「町会創立50周年記念の町会誌」をベース資料として、町会長の渡邉様に昭和20年の東京北部大空襲から昭和53年に巣鴨プリズンの跡地にサンシャイン60ビルが完成する迄の南池袋周辺の復興の歴史と変遷のお話を頂き、その内容は大変興味深く、また、昭和天皇が終戦の玉音放送で述べられた「終戦の詔書」の貴重なコピー資料を頂戴し、改めて読み、二度とあってはならないことと心に刻みました。

その後の南池袋一丁目町内の変貌の中で、ビックリガードの落書きを無くすために、行政やJR、鉄道各社への談判などの熱意ある行動と地元愛にあふれた熱意ある行動に感銘を覚えました。また、副都心線の開通に伴い池袋の地盤沈下を危惧し、町おこしとして雑司ヶ谷七福神の創設に尽力され、副都心線の開通がむしろ乗降客の増加となったことから一度頓挫しかかった七福神を再び進め創設に至ったこと等、地域・町会の発展に長い間取り組んでこられた功績は素晴らしいと感動いたしました。

貴重な資産の維持や安全・安心で清潔な町の維持には、行政はもちろんのこと、このように地元を愛する熱意のある人達が地道な活動を行っているからこそ実現出来ていると実感いたしました。是非次世代の人達に継承されることを願っております。
貴重なお話を有り難う御座いました。

女性Eさん
池袋の移り変わりがとてもよくわかりました。 びっくりガードが綺麗になった影に渡邉さんの尽力がある事を知りました。きっとあの場では話せないくらい沢山のご苦労があったんだろうなと感じました。1番驚いたのは渡邉さんの年齢です。これだけ皆さんのために働かれている方はエネルギーに満ち溢れていますね。