2016年7月31日日曜日

仏像の話〜その魅力と見方~


君島氏作品



君島彩子氏 (総合研究大学院大学・国立歴史民俗博物館) 

(1) 講師紹介

美術の技法と理論を学なんだ水墨画家であり、にぎり仏の講師も務めています。また大学院博士後期過程では、近代仏教・宗教学の立場から仏像の研究をしています。そして博物館や美術館でアテンダント業務なども行っており、一般とは少し違う仏像の「見方」についてお話しをします。



(2) 仏像の「魅力」とは何だろう

京都や奈良などを旅行した時、博物館や美術館の展覧会で仏像に感動したり、美しさを発見したりします。現在も多くの人々が仏像の魅力に触れています。では、何故「魅力」を感じるのでしょう。



(3) どのような仏像の「見方」があるのか

明治時代初頭の廃仏毀釈、文化財概念の成立、美術の成立を経て近代に仏像を「鑑賞」することは始まりました。講師は、「仏像の見方」を、以下の3つに分類しています。

    直感的に感じる。感動を叙情詩的に綴ったり、歴史文学として発表されることもあります。有名な書籍では、和辻哲郎の『古寺巡礼』や白洲正子の『十一面観音巡礼』などがあり、一節やエピソードだけが有名になることも多いです。

    学術的な見方。近代以降の仏像研究においては、尊格、素材、技法、根本経典、そして作者や時代ごとの様式について研究します。近年の仏像ブームで発行されるようになった入門書は、様式論を一般の人でもわかりやすく解説したものが主流です。しかし、このような見方をすると細部にばかり目がいき、本来の感動が薄らいでしまいます。

    起源や造像背景。尊格の起源、たとえば一つの尊格の信仰が、インドから中国、朝鮮半島を経て日本までどのように伝わったのか考察したり、仏像が作られた背景や関わった人物などをより広く考察したりします。梅原猛の『隠された十字架』のように読み物として面白い説も多くありますが、学術的な根拠には乏しい説も多いです。



さまざまな「見方」がありますが、個人で仏像を「鑑賞」する時には、3つを組み合わせると良いでしょう。それでは2例を具体的に見ていきましょう。



<1>  広隆寺「弥勒菩薩像」

    直感的に感じる

弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」として知られ、「東洋の詩人」との愛称をもっています。ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を「人間実存の最高の姿」を表したものと激賞した。京大生が「弥勒菩薩像が余りに美しかったので、つい触ってしまった」 というエピソードなどが知られますが、事実であるかは不明です。しかし、多くの人がその姿に感動したのは事実でしょう。

    学術的な見方

この像に関しては分からない点も多いのですが、『日本書紀』に記された聖徳太子から譲り受けた仏像の可能性もあります。また韓国中央博物院の国宝「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」との類似性も指摘されており、広隆寺の像も制作当初は金箔張りでした。本体はアカマツ製ですが、背板はクスノキ製。アカマツなら朝鮮半島製で、クスノキなら日本製と考えられ論争となっています。現在の顔は明治時代の修復が行われているので、近代的な美の基準が考えられます。

    起源や造像背景

半跏思惟像は、インドでは観音菩薩、中国では悉達太子、朝鮮半島では弥勒菩薩が多いです。そして日本では、弥勒菩薩が主流ですが、聖徳太子信仰の影響で如意輪観音とも言われています。

弥勒は釈迦の次にブッダとなることが約束された菩薩で、釈迦の入滅後567千万年後の未来にこの世界に現われ、悟りを開き多くの人々を救済するとされています。弥勒菩薩(マイトレーヤ)は、ミトラを起源とする説も唱えられています。ミスラ(ミトラ)はアジア、ヨーロッパの広い範囲で崇められた神で、インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格です。弥勒菩薩の救世主的性格はミスラから受け継いだものとも考えられます。



<2> 興福寺「阿修羅像」

    直感的に感じる

2009年「国宝 阿修羅展」は計165万人以上という空前の入場者数を記録しています。これはモナリザ、ツタンカーメンに次ぐ記録です。堀辰雄は、「なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう」と、白洲正子は「紅顔の美少年が眉をひそめて、何かにあこがれる如く遠くの方をみつめている」と記述しています。やはり阿修羅のモデルは美少年なのでしょうか?

    学術的な見方

阿修羅像は興福寺西金堂に安置されていた、20数体の仏像から構成される釈迦浄土の群像の中にある、八部衆のうちの1体です。本来は戦闘神である阿修羅が憂いを帯びた静かな表情に表されているのは、「夢見金鼓懺悔品」に基づき、阿修羅が懺悔し仏法に帰依した姿を表現したためとされています。技法は脱活乾漆像で鮮やかな彩色で、「興福寺曼荼羅図」 では宝珠をもつています。合掌する手は、明治時代の創作とも考えられます。

    起源や造像背景

阿修羅像は興福寺の像を除けば、憤怒の姿で表されます。聖武天皇の妻、光明皇后が母の一周忌のため発願した像とされていますが、光明皇后が直前に息子を亡くしているので、息子の姿を写して少年にしたのではとの見方もあります。

またアスラ(阿修羅)は、古代インドの戦闘神・魔神であり、神々と戦った攻撃的な神でしたが、アーリア人が流入する前には最高神であったと考えられ、毘盧釈那と同じ起源をもつという説もあります。さらにゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーとアスラは同じ起源の大変古い神格と考えられます。



(4) 「見方」を知るだけでは「魅力」を理解できない

仏像は信仰対象であり、仏像には魂がこめられています。例えば展示会の仏像は魂が入っている時と、そうでない時があります。

仏像は個々人の体験によっても受け止め方が変わるので、近代的な美術品、文化財としての「見方」だけが、正しい仏像鑑賞とは言えません。多様性の理解も重要でしょう。

日本の仏像の半分以上は江戸時代に作られており近世・近代・現代に作られた仏像にも目を向けると、新たな「魅力」の発見があるかもしれません。そのため講師は近現代に作られた仏像を研究しています。



万博の仏像




質疑応答

1.    阿修羅の手の形に決まりがあるのか?

→ 決まりはないが、日輪と月輪、弓と矢を持つことが多い。阿修羅以外にも百済観音など、近代の修復で手が加えられた仏像がある。

2.    奈良中宮寺の伝如意輪観音像と広隆寺の像を比較すると?

→ 保存状態が良かった。香油が木に浸みツヤが出ていて真っ黒だが、元々肌色だったようだ。この技法で作られた仏像は1体しかなく、鎌倉時代になるまで文字資料がないので詳細は分からない。

3.    仏像と美術品の重なる部分とそうでない部分があるが?

→ 美術品の場合、誰の作品であるかが重要となる。近世には宮大工として働き、時に仏像を作るような地方仏師も多かった為、現在の芸術家のイメージとは異なる>現在の仏像を作っている方の中にはスピリチュアルな方も多い

4.    巨大なコンクリート製仏像は、美術品と言えるのか?

→ 美術品というより建造物である。仏像として研究がないので、私が研究していく予定。
→ 近現代の仏像を追いかけると面白いことが分かる。高崎白衣大観音など、大正・昭和初期の仏像ブームでは、富をなした人が大仏を作っていた。大船観音は戦前に作りだしたが資金が枯渇して中断し、戦後、東急創始者の五島慶太が資金を出して完成させる。このようなコンクリート製の大観音は、当初は観光資源としての意味が強いが、後で宗教法人が管理するケースが多い。バブル期に多数作られた大観音も観光資源として作られたものが多いが、病院の窓から祈っている人がいるなど、宗教的な意味がないわけではない。

5.    コンクリート製仏像は、どのようにデザインされるのか

→ 仏師や彫刻家が等身大の仏像を作り、それをベースに施工業者が構造物に仕上げる。芸術家が作る美術品の場合、オリジナルティ、アイデンテティを求められるので、仏像のようにある程度パターンの決まったものは難しい。

6.    近現代の仏像研究は面白そう。富山県高岡市に銅製仏像メーカーがある

→ 現在も多くの仏像が高岡市で鋳造されている。また現在、木彫をおこなっている仏師の主な仕事は、古い仏像の修復である。新しく仏像を制作する場合、仏師の他に彫刻家が作る場合もある。





以上



開催日時 2016年7月22日(金) 午後3時~4時30分
会場  区民ひろば高南第一 2階   区民集会室
参加者26名 マナビト研究生、2年生、1年生、豊島区民