2022年1月16日日曜日

肥後細川庭園と関口の歴史



【日時】2022115日(土)1000分~1120
【場所】肥後細川庭園 松聲閣 洋室
【講師紹介】 肥後細川庭園パークアップ共同体 山野 浩嗣 所長

 


 



【受講者の感想】

男性Aさん
    肥後細川庭園の松聲閣の所長さんから、庭園の歴史や見所を教えてもらいました。都から区へ管理が移って、昔の庭らしくなったというのが、印象的でした。有り難うございました。

   最初に江戸の地図が出ましたが、「越中守
細川家」と書いたあったのが、何だろうとずっと不思議に思っていました。肥後なので、越中とは不思議だし、加賀藩の領地のはずと思って、帰って調べてみました。江戸時代の「守」は昔の守護とは全く関係なしに、皆好き勝手に付けていたらしいです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013988425
参考まで


男性
Bさん
  肥後細川庭園並びに松聲閣は、当倶楽部のセミナー等で何回か訪れていましたが、本日この細川庭園の指定管理者としてマネジメントを行っている山野所長を迎え、歴史や特徴と四季についてお話頂きました。

  ペルー来航の頃の幕末期に肥後熊本藩の細川家の下屋敷、抱屋敷のあった所で明治時代には細川邸本家も構え、戦後の昭和に敷地の切り売りが成され、西武鉄道から更に、東京都の都立公園となり、その後昭和
50年に文京区に移管された。平成 29年迄は新江戸川公園という名称であった。既に江戸川公園が存在したので、新をつけた安易な命名だと() 肥後細川庭園と改名されてから未だ5年。
  公園の特徴は、池泉回遊式庭園で、遣水形式の台地の湧水を池に取り入れている。庭園の表札は、元総理大臣の細川護煕さんの直筆だそうです。

  四季の見所は、門外不出の肥後六花を中心とした四季折々の花や生物と冬の雪吊り、また、紅葉のライトアップ(ひごあかり)等の催事などそれぞれ趣のある自然を感じられるとのこと。今まではただ漠然と綺麗な景色を眺めていただけであったが、此れからは四季の見所を意識して味わいたいと思います。山野所長、本日は有難うございました。

男性Cさん 
   都が管理していた頃に比べ文京区が管理するようになってから、格段にお庭の趣が変わりました。土塀やら庭のたたずまいが素晴らしく、庭園になったのです。今日のお話では、元来しっかり作りこまれたお庭なので、手入れをすると滝が現れてきたり宝の山だそうです。
 また植栽ばかりでなく、生き物の種類も豊富で観察会を年10回も開催できるほどの鳥類や昆虫、水生動物がいるそうです。また東京大空襲でも戦災を免れ、珍しいタマゴダケやキヌガツタケも生えてくるようです。

  パンフレットに書かれている肥後六花は、
250年前、家臣の精神修養に園芸を奨励したことに始まりだそうで、その苗と種は「門外不出」なのだそうです。秋になると菊の鉢植えが熊本県から送られて展示されますが、それが終わると、他に流出しないよう丸ごと熊本県に返すそうです。
  今後、訪問した時には、京都嵐山の面影探しもやってみようと思います。


女性
Dさん
  文京区の松聲閣の歴史について伺いました。現在は文京区の所有の下公園財団が管理されているとの事。もともとは肥後の細川邸だった。明治から平成にかけ西武鉄道がホテルとして活用したり、東京都の都公園を経て平成
29年に庭園としてリニューアルオープンされたそうです。
  ニューアルにあたり、明治当時の庭園に近づけたり、松聲閣をリフォームしたりといろいろご苦労されたようでした。

  たまたま隣の和敬塾で植木の講習会を受けたばかりだったので松聲閣の歴史がとても興味が持て楽しく伺えました。四季を通してお庭を拝見したいと思います。ありがとうございました。


女性Eさん
   今日は山野所長による肥後細川庭園のお話し。私は池袋生まれの池袋育ち、近いのに細川庭園を最近まで知りませんでした。でもお話しによるとその名前になったのは平成
29年とのこと、その前は新江戸川公園と言う名前だったそうです。なんとなく細川家の歴史等のお話があるのかと思っていたのですが、そうではなく庭園の持ち主の変遷と平成28年から庭園を管理する公園財団の努力による庭園の再生のお話でした。
   育つままになっていた樹木を元の様子に復元し、観光用の雪吊りや肥後六花の栽培、夏のライトアップなど集客の努力をされている、写真で見たら兼六園かと見まがうほど素敵な庭園になりました。それでも入場料は無料、文京区偉い!公園財団偉い!と思いました。
  最後に「子供の頃ここでザリガニ釣りをしたのですがどの辺になるのでしょうか」と質問があり、池の端を示されて「この辺りでしょう」とお答えでした。
    今は昔、東京都が土地を購入した
1960年、未だ戦後の残る東京は荒れ果てていました。私が育った時には肥後細川庭園は未だなかったのですね。荒れ果てていた公園を美しく生まれ変わらせてくれた皆さまの働きに感謝!
   山野所長、お話しありがとうございました。


女性Fさん
  今回庭園の歴史を教えていただき、江戸時代に旗本の邸地となってからの所有者の変遷に驚かされました。様々な所有者の庭園への深い思いがあったからこそ、この美しい庭園が現在まで維持されてきたと思いました。保存維持・修繕にどれほどの人力・経済力が使われたか感謝しかありません。
  肥後細川庭園が新江戸川公園と呼ばれていた頃にも訪れたことがあります。呼称が変わると庭自体のイメージも変わるので不思議です。歴史を感じる良い名称になったと思います。

    庭園の四季についてもお話いただき、「肥後六花」や四季折々の花々・自然をめでに訪れたいと思いました。お忙しい中お話いただきありがとうございました。


 

 

 



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