2016年10月8日土曜日


高島平団地から見える日本の変化と未来


高島平新聞社 取締役会長 村中 義雄




講師紹介
東京港区麻布出身。業界紙を経験後、昭和47年高島平団地誕生とともに「団地新聞・高島平」(その後、高島平新聞社)を創刊、今日に至る。小学校や中学でふるさと教室を行ったり、マスコミの取材も多数受けてきた。最近ではNHK ラジオ深夜便に出演。






高島平の歴史
元々東京の穀倉地帯だったが、日本の高度成長にともなう全国的な住宅不足から大規模な団地開発が進んだ。そんな中、昭和44年高島平もターゲットになった。団地建設前に鉄道が開通、47年団地が完成しても公衆電話やだばこ屋、床屋、飲み屋もなく、当初課長や部長などミドルクラスの入居を見込んでいたが、若い世代を中心に1万世帯が入居したため、保育園や小・中学校不足となる。

しかし平成7年に町の人口はピークを迎え、その後急ピッチで高齢化と少子化、空き家の増加が進み、平静2310月に65歳以上が40%を超すまでとなる。







高島平新聞が果たした役割
団地の人々は交流を求めていたけれど、募集の仕方が分からなかった。そこでサークルの募集を新聞社で行い、スポーツ別に日時、集会所を指定して野球やサッカー、カルチャー系が立ち上がった。その他住民運動、自治会作りに貢献できた。そういう新聞社だからこそ40年続いたと思う。最近は、別経営で高齢者向けコミュニティカフェを作り13040人集まるほどになった。






質疑応答
①高島平団地で有名だったことが他にもあったと思うが
→ 当初は屋上が開放されていた。事件が多発してから閉鎖された。また報道すると奈良県からやってくる人もいたため、最近は報道されない。他の団地でも高島平の対策を参考にしている


➁限られた取材範囲で、ネタが尽きることはないのか
→ ある程度の規模があれば、人が住んでいる限りニュースがあるのが前提
→ 新聞経営をするには広告収入がすべてなので発行部数が必要>部数を確保するには無償配布が良い
→ 最近は新聞離れ、活字離れが進んでおり一般紙の購読数も落ちこんでいる>新聞専売店は購読料では食べていけない>チラシ折込み料で補てんしている
→ 新聞と異なり、「べんり帳」は生活必需品>1年間大事に活用されるので、広告効果も高い
→ 下手に購読料を集めると、集金手数料の方がかかってしまう>NHKみたいに、やっても赤字になってしまう>購読料を取ると、新聞が要る要らないの線引きが出来てしまい、配達するのが大変になる


③無料で配布しているのに、定価160円と書かれているのは何故か
→ 今は形骸化したが、当初は郵便法3種なら定期刊行物として郵便料が安かった>また「べんり帳」は新聞販売店や不動産屋さんが販促品として使用するため頒布価格が必要


④昔、公団は外国人の入居を認めてなかったと思うが
→ 当初「住宅に困窮した日本人を対象にする」が定義だった>今は家賃をちゃんと払えば、外国人の入居も認められる>民間のアパートは外国人を嫌うので、URの住宅に外国人入居者が増えている
→ 高齢者の場合、定期的な収入がないので1000万円など貯金残高があれば入居できる


⑤昔、住宅公団に申し込んでも入れないことが多かった。最近は入居できるのか
→ 空き家は数百軒あるが、問い合わせると3軒しかないとの回答が来る>また古くなっているのに、家賃を値上げしている


⑥高島平新聞社の見本を見て、若い人の活躍なども分かり、こんな新聞なら購読したい
→ 昔は高島平団地内のニュースに限定していたが、今は団地周りも全部入っている>また社会的現象が起きている時、この街ではどのようなったかを具体的に書くと納得してもらえる


⑦都営住宅では、弱者は家賃を免除されているように思う
→ 高島平にも、都営住宅は何軒かある>東京都が提供している住宅は家賃ではなく利用料>生活保護者か障碍者にはダダか、安くする制度がある>URには平均月収が家賃の4倍ある人でないと入居できない>従って提供している住宅の質も異なる


URの空き部屋と入居募集数に違いがあるのは何故か>将来の人口減に対応しているのか
→ いろんな考えを持っているようだ>東日本大震災など緊急避難用に確保している部分もある>またリニューアルも無印良品で改装したり、サービス付き高齢者住宅などいろんな試みをやっている


⑨高齢者になると一戸建ての生活が大変になり団地で生活したい>しかし定期的な収入はない
→ まとまった金額が貯金通帳にあれば入居できる>しかし高齢者ばかりが集まると、それも団地としての管理上の問題が出てくる>子供たちが近所に住んでいれば入居を認める方式もある>何かがあれば、すぐ飛んでこられる事が条件


⑩コミュニティカフェを始めた背景は
→ 元々大東文化大学と地域再生プロジェクトとして始まった>しかし分裂・崩壊>その時、シニア向けの憩いの場所がないことに気づき始めた



⑪カフェ運営上、克服しがたい法律はなかったのか
→ 何もない>介護を行う行政と提携することで、多くはないが補助金を出してもらえる>認知症の方は釣り銭を計算するのが嫌なので、いつも1万円札で払う>いつも同じ質問をしたり、喋ったりするのは仕方がない






                       開催日時 2016107() 午後3時~430
                       会場    区民ひろば高南第一 2階 区民集会室
                       参加者  24 マナビト研究生、2年生、1年生、豊島区民他








アンケート結果 (回答者は15)
本日の講演に「大変満足」が53%と半分以上を占めました。
内容では事例紹介のポイントが高く、写真とエピソードは同列でした。


受講者の感想
1.団地のことがよくわかり良かったです

2.豊島区の将来と高島平の現実問題とが何か共通問題がないかと考え参加したが、十分な情報は得られなかった。ここにポイントを置いた検討が希望であった。行政サービスの限界対策など

3.ありがとうございました。興味深いお話を聞けました

4.普段気にしていない事柄を改めて聞くことが出来て良かった

5.団塊の世代、新婚育児などマンモス団地の移り変わりに考えさせられました。地域向上につながる活動は地味ですが大切だと改めて思いました



以上




参考

マンモス団地の 40年/村中 義雄  NHK ラジオ深夜便
タウン紙の草分け――メディアを通して人のつながりに貢献

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