2019年7月23日火曜日

身近な仏像を知る講座

身近な仏像を知る講座


身近な仏像を知る講座


【日時】2019721日(土)1030分~12
【場所】豊島区地域活動交流センター(としま産業振興センターIKEBiz 5F
【講師紹介】駒沢大学仏教経済研究所・早稲田大学宗教文化研究所研究員
      君島 彩子 氏



【受講者の感想】
女性Aさん
近代仏像の研究家である君島先生の久し振りの講座でした。
本来は江戸時代は東京に寺院がたくさんあったので(役所代わり)仏像も沢山あった。美術館や博物館には古い時代の仏像がたくさんあるのに、江戸時代以降の仏像があまり現存していないのはなぜか。それは美術館のものは奈良や京都のものが多いので美術品として残っていた。しかし東京の仏像は、庶民の寄進が主なのでサイズも小さく無名の仏師が作ったものなので特別保護も受けられず、廃仏毀釈、関東大震災の火災、極めつけは東京大空襲の火災によって多く失われてしまった。

江戸時代の仏像でおすすめなのは世田谷の九品仏。最近復元修復され、元に近い形で残されている。阿弥陀如来の手の形で9つの如来の位を表している。びっくりなのは金ぴかの体に青い頭をしていらっしゃる。「阿弥陀如来の頭は空の碧さより濃い青」と経典に書かれているので復元したそうだ。戦火を逃れた仏像たち。東京の見るべき仏像を紹介してもらったのもありがたく行ってみようかと思いました。

男性Bさん
講師の君島彩子さんによると歴史的に多くの仏像が失われたが美術館・博物館の展示とは違う臨場感たっぷりで魅力的な仏像が石仏や青銅仏など屋外も含め都内に多く現存しているとのお話でした。実際に、九品仏・浄真寺、目黒・五百羅漢寺、上野・清水観音堂、上野大仏、護国寺などが紹介され楽しい時間でした。


男性Cさん
「身近な仏像を知る講座」を和室の畳の上で拝聴いたしました。
仏像は仏教の信仰対象である「仏」の姿を形にしたものであるが、現在美術館や博物館に展示されているものは鎌倉時代以前のもので美術品の扱いであり、近世までは仏像は「触るもの」だったのが、仏像は「見る物」になっている。

仏像の半数以上は江戸時代に作られたとのこと。作った時代によって顔の表情が違ったり、身繕いの違いは、その時の中国からの最新の流行を取り入れたことによるとの話があり、仏師も人気商売で流行に敏感であったことに親近感を覚えた。君島先生のご専門である近代仏像は、小さく素朴な作風の仏像が多く、江戸時代の後半には、寛政11年(1799年)に幕府から出された「仏像は全て三尺以下に限るべし」の発布によって小さくなったとのことでした。江戸時代には沢山寺院があったので仏像も沢山あったが、明治の廃仏毀釈で多くを失った。今振り返る江戸時代は昔のイメージですが、明治時代から見た江戸時代は令和から平成を見るような感覚であったと。その後も関東大震災や東京大震災で多くを失ったことは残念なことであった。

君島先生推しの身近にある江戸時代を代表する仏像は九品仏浄真寺の9体の大きな阿弥陀如来の九品仏や五百羅漢寺の釈迦像と羅漢像とのこと。折りをみて行ってみたいと改めて思いました。上野公園の大仏の顔、ウィキペディアで調べると散々な目に遭っているが今は顔だけ残って、もうこれ以上は落ちることがない、、ことから多くの受験生が合格祈願に訪れている。

男性Dさん
本日のゼミナールでは、都内23区の身近な仏像を紹介するとのことだったので、どこが紹介されるのか楽しみでした。一位が九品仏浄真寺、二位が目黒の五百羅漢でした。
九品仏には数回行っていますが、都内にあるとは思えない空間が素晴らしいと常々思っていました。勿論仏像も見ていますが、頭髪が青だったとの記憶は全くなく、次回訪問した時に確認したいと思いました。また五百羅漢の仏像は一つ一つが生き生きとしており、黒光りする光沢は重厚で、小さなお寺ですが宇宙を感じさせる場所なので気に入っています。

江戸時代に多くの仏像が造られたのは人口が多かったことばかりではなく、参勤交代で国元のお寺を江戸にも連れてきたことが原因とのことでした。またそれ以前は支配者階級の仏教だったのが、江戸時代に仏教が大衆化して仏像需要が増え、それまでの芸術家肌の仏師から職人的仏師に移行したため特徴ある作品が少なくなったようです。そんな中、五百羅漢の仏像は、江戸時代に流行った黄檗宗は中国からの最新仏教であり、黄檗宗の僧侶が作った最新型仏像だったようです。またこの派の僧侶は日頃中国語で読経していると自負していたのに中国人がそれを聞いて中国人には通じない中国語だとのエピソードを紹介してくれました。相変わらずの君島節で、時間の経過を忘れさせる1時間半でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿